ボカロPがアラカンで何が悪い! = 点五P公式

アラカン ボカロPの活動奮闘記!

#349 Tengo-Pの音楽遍歴を中心とした自己紹介(ボカロPになるまで詳細編)

一週間ほど前、Xで「音楽遍歴を中心とした自己紹介」をポストしたところ、188いいねをいただくほど注目していただき、ビックリしました。やっぱり一度諦めた夢を再トライしていく様に共感を得られたのだと思います。
そこで、blogにもう少し詳細編を載せてみることにしました。
実は9年ほど前にこれに近いものは書いているのですが、時間がたってTengo-Pと新たにつながってくれた人も増えたので、ここで手直しして再掲することにしまーす!
ちょっと長くなるけど是非お付き合いください。

【1961年: Tengo-P誕生】
東京都葛飾区柴又に、何の変哲もないサラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれる。


【'60年代半ば: 就学前にオルガンを習う】
母のアレンジでオルガンを習わされる。音楽自体はとっても好きだったんだけど、他の生徒が全部女の子ばっかだったんで恥ずかしくなってやめてしまった。
今考えるともったいなかったな。

ずっとやってたらプロの音楽家になれた?
でも音感の基礎はこのときにすり込まれたと思う。


【'70年前後: 音楽とは無縁の小学生時代】
オルガンやめた反動か、音楽とは無縁の生活。
昆虫採集、草野球、ミニカーなんかに明け暮れるごくフツーの小学生。(ちょっとデブなw)


【'70年代半ば: 中学生で音楽に目覚める】
中学入学祝いにラジカセを買ってもらった。英語の勉強って名目だったけど...。
これがすべての始まり。ラジオでかかる音楽をカセットテープに録音して聴いてた。
最初はフォーク、ニューミュージック(笑)。
次第にクラスメイトの影響で洋楽を聴くようになる。
中二になるころにはほとんど洋楽中心に聴いてた。

貯めていたお年玉でアコギ購入と同時に作曲も始める。
買ってすぐ名曲が作れるなんて自分は天才と思ってた。(まさに厨二病)
でもそのころに作った曲は全然大したことないのは言うまでもない。

★このころ聞いていたアーティスト
J-POP: チューリップ、井上陽水荒井由実
洋楽: ビートルズカーペンターズミッシェル・ポルナレフ


【'70年代後半: 福岡に引っ越しロックに染まる】
父の転勤に伴って福岡に引越し、転校。クラスメートの影響でハードロック一色に。
ハードロックこそが進化した芸術的な音楽で、他の音楽は音楽じゃない。
それを知った自分はすごい、とこれまた厨二病状態
進学した高校に軽音楽部がなかったので、
英語部に入って、世界的なミュージシャンになる準備をすることにした。
(さらに厨二病がこじれてきた)
英語部では洋楽を聞いて訳詞をして遊んでいただけで、結局しゃべれるようにはならず。
ギターを使っての作曲はつづけてきていたが、このころはほとんど洋楽的な曲。

★このころ聞いていたアーティスト
J-POP: ゴダイゴサザンオールスターズ
洋楽: Deep PurpleLed Zeppelin、Yes、King Crimson


【'80年代前半: 東京の大学に入りバンド活動開始】
東京の大学に入学。友達の影響で一気に軽薄に。
ナンパ目的でDisco通いを続けるうちにDance Music (Black系、エレクトロ系)も範疇に。
六本木のパブでウェイター兼皿回しのバイトをやり、軽薄な音楽に急旋回。
なんとポリシーのないヤツ。
ビルボードのヒットチャートをチェックしてヒット曲全般を聴くようになる。

大学2年のとき、エイジアのコピーバンドでバンド活動開始。ベースとボーカルを担当(ジョン・ウェットン)
学園祭でライブもやったけど、これは大失敗でしたw。
ここまで「自分は天才」という中二病状態が続いていたが、二十歳を超えてようやく自分の限界を知る。
この後はボーカルはやらない方針で活動。

★このころ聞いていたアーティスト
J-POP: Off Course、サザンオールスターズ松任谷由実
洋楽: Toto、Asia、Boston


【'80年代半ば: IT企業に就職し、並行してプロ志向バンドに加入】

サラリーマンのかたわら、プロ志向の本格的なバンドに入り、マネージャもついたが、
コイツがクセモノで、レコーディングに大金を払えと言い出したので脱退
しかし音楽的にはJ-ロックの路線に方向転換し、作る曲のポリシーもかたまってきた。
このときいっしょにやってたドラムが、後に某有名バンドのメンバーとしてデビュー。
(オリコン初登場一位も取ったことのあるバンドです。もちろん別マネージャーのもとで)
そいつはそれまでいっしょにやってたメンバーとは明らかに違っていた
テクニックがあるだけじゃなく、ヒマがあれば徹底して練習、約束は絶対守る、メンバー間の協調、調整も重視、という人間的にもスゴいヤツだった。
(見た目はタダのヤンキーだったが)
コイツのおかげで、プロをめざすというのはどういうことなのか、今までの自分がいかに甘かったか、思い知らされた。
人生四半世紀経って、ようやくまともな人間になれた気がする。

★このころ聞いていたアーティスト
J-POP: レベッカ米米CLUB
洋楽: Duran DuranU2


【'80年代後半: 小室哲哉との出会いで再び音楽の方向性が激変】
Come on let's DanceGet Wildでここまで目指していた音楽が一気に吹っ飛んだ!そう言っても過言ではないくらいの衝撃だった。
完全にデジタルの方向に。作曲もパソコンで行うようになった。
早速TMネットワーク的な3人のユニットに参加し、ヤマハのコンテストに応募。
一次テープ審査で800バンド中の12に残る。
しかし、二次ライブ審査で下手なのがばれ落選。
二次審査に通った4バンドは武道館でライブだったが、やはり無理だった。
これで、自分でパフォーマンスをするミュージシャンになることはあきらめることにした。

★このころ聞いていたアーティスト
J-POP: TM NetworkFairchild
洋楽: A-Ha、Madonna、Human League


【'90年前後: アイドル作曲家を目指すも不発で音楽活動引退】
あるプロダクションのマネージャに、「アイドル歌手向けの作曲をやらないか」と誘われる。
それまでアイドルというジャンルはハッキリ言ってバカにしてきたからちょっと、と思ったのだが、
「100万枚売れるってどういうことかわかります? 普段音楽なんか全然聴かない人の耳に届いて購買行動をさせるくらいのパワーがある曲ってことなんですよ。
確かにコンセプトアルバムを作って通の人だけに聴いてもらうのもすごいことでしょう。でもこの3分間の中にそれ以上にパワーを作りこむってすごい価値のあることだと思いませんか?」
影響されやすいオレはこの一言でコロっと行ってしまった。
この考え方は今でもオレの中核で、ボカロP活動の根底になっている。

で、結構有名なアイドル(ベスト・テンの常連のような)2人の企画会議に数回にわたって自分の曲を持って行ってもらったんだが、すべてボツ
厨二病のころから続いていた根拠のない自信はここで完全に砕け散った。

そろそろ潮時を感じ、ここでお見合い結婚。

さらに1993年、会社で北京駐在を命ぜられる。当時の大がかりな機材を持って行くのも大変だし、そもそも北京からさらに地方への出張が多い仕事だったから、もう限界だなと。
仕事の方も結構重要なプロジェクトを任されるようになって残業も増えて来たし...。
ということで、断腸の思いで音楽活動を引退することにした。

ここまで音楽性を変えつつも悩みながら頑張ってきたが、200曲あまり書き溜めた曲たちはここで永遠に葬り去られることになった... (と思っていた。)

★このころ聞いていたアーティスト
J-POP: TM NetworkFairchild、アイドル歌手全般
洋楽: Kylie Minogue、Heart、Richard Marx


【'90年代半ば~2010年代初め: 失われた20年】
その後、北京から帰任。二児のパパ&フツーのサラリーマンオヤジとして順調に生活してた。
しかし、どこかあきらめきれなかったんだろうな。毎月オリコンビルボード、全英のチャートをチェックして、気になる曲はレンタルしたり買ったりと、常に最新の曲を聴き続けることだけは続けていた。体が老いても頭が腐ってなければいつかは...ってね。
でもこれが結果的に後で役に立つとは...。

★このころ聞いていたアーティスト
J-POP: 小室ファミリーZardPerfumeFripSide
洋楽: ヒット曲全般 (ダンス、EDM中心)


【2012年: ボカロとの運命的な出会い】
ある夏の日、当時中学生の娘がおめかししてるんで

オレ「どこに行くの?」
 「友達とカラオケ」
オレ「ふーん、どんな曲を歌うの?
 「最近は半分くらいはボーカロイドの曲だよ」
オレ「???」

2007年に初音ミクが発売されたのは知っていた。けど
「どーせ機械みたいな歌い方でしょ」
「どうせ変態なオタクが声聴いて喜んでるだけでしょ」
バカにして見向きもしてなかった。(ゴメンナサイ)
真面目に音楽を作る人間が使うものではないと思い込んでいたのだ。

しかし、普通の女の子が半分くらいボカロ聴いてるの?どうなってるんだ?
と思って娘に教えてもらっていろいろ聴いてみると...

こんなすごいことになってるとは。頭がかち割られたくらい驚いた。
そして、これは「オレを呼んでいる!」と。
あのボツになった(あえなく死んでいった)オレのかわいい曲たちをボカロでよみがえらせられるじゃないか。リベンジだ!

そして翌年初め、52歳のオヤジがついにボカロPとして活動開始!


⇒ ボカロPになってからの遍歴はまたの機会に!

ここまでの長文、
お付き合いいただきありがとうございました!
なんか心に来るものがあればTengo-Pをぜひ応援していただけると嬉しいです。

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